【黒部トンネルの思い出】 〜管理人雑記〜

[ はじめに ]
黒部トンネルと云うと、映画やTVでお馴染み『黒部の太陽』に登場したトンネルを連想します。
実際、管理人もこのホームページを作る前までは、(黒部トンネル=黒部の太陽に出て来るトンネル)、と思い込んでいました。
しかし、地図をよく見るとこのトンネルは隧道内部で分岐していて、扇沢〜黒部ダム間を「関電トンネル(針ノ木隧道)」、黒部ダム〜インクライン上部までを「黒部トンネル(関電専用道路)」と記載されています。
関電トンネルは開通当初は大町トンネルと呼ばれていたそうです。
この辺りを正確に把握せずに、ここでは「地山トンネル黒部」などと勝手に名付けていますが、「地山トンネル黒部」のモデルは「関電トンネル(針ノ木隧道)」です。
ただし、「地山トンネル関電」ではしっくりと来ないので、ここではそのままにしてあります。

[ 初体験 ]
関電トンネル(針ノ木隧道)へ初めて行ったのは30年以上も前で、剣岳・八ッ峰周辺の夏山合宿に入山時の事です。
新宿駅まで見送りに来た先輩から大玉スイカ1個を追加され、夜行列車で寝不足のまま朝霧立つ扇沢を出発しました。
寝呆けのまま、トロリーバスで入坑、「これより破砕帯」の看板に感激したものの、ゆっくりダムを見学する間もなく日電歩道へ下り、1週間分の合宿装備と大玉スイカの重ボッカでハシゴ段乗越はヘロヘロになって登った記憶があります。
帰りは剣岳〜真砂岳〜大汝山と縦走し、室堂経由で下山しましたので、関電トンネル(針ノ木隧道)は片道分の体験となりました。

[ 2回目 ]
2回目は一寸変わった体験でした。
山仲間が奥鐘山西壁で遭難し、捜索することになりました。
捜索という特殊な状況の為、関西電力さんが全面的に支援して下さることになったのです。
扇沢でトロリーバスに乗ったまでは同じですがトンネル内で降り、ディーゼルのマイクロバスに乗り換えて針ノ木隧道から黒部トンネル(関電専用道路)の真直ぐかつ長いトンネルを進み、更にインクラインに乗り換えて地下発電所に下り、そこから関西電力専用軌道のトロッコ列車に乗り換え、高熱隧道を経て志合谷合宿所跡に到着しました。
当時の日記を読み直すと関西電力専用軌道のトロッコ列車は2両編成で、1両の定員は8名位と記されていました。
地下発電所を出発して暫くすると鉄橋区間があり、そこから仙人ダムが見え、その先の隧道は硫黄臭と車内温度の上昇が体感されたと記されています。
志合谷で下車すると慰霊碑があり、そこから水の滴る横抗を歩いて合宿所に到着しました。
吉村昭さんの小説 『高熱隧道』 によれば、この横抗は本坑掘削の為、日電歩道側から掘り進められたとあります。
合宿所の建物は黒部峡谷の断崖としては比較的傾斜の緩い岩棚(テラス)の上に建築され、建物の一部は地山に食い込んだ格好になっていました。
あのホウ雪崩で吹き飛ばされたのは張り出しテラスの2階〜5階部分で、既に事故から40年近く経っていましたが、破断された鉄筋が土台に残っていました。

期間中、小屋平ダム捜索の任務があってトロッコ列車(志合谷)〜竪抗エレベーター(欅平)〜黒部峡谷鉄道(小屋平)を往復しましたが、下山時もこのルートで宇奈月へ下りました。

今日、このルートは一般者の見学会(抽選)が催されるようになりましたので、機会があれば再訪してみたいと思っています。

[ 3回目 ]
 3回目の関電トンネル(針ノ木隧道)体験は社会人になってからでした。
 社会人になると休暇も限られて来ます。
 1978年の夏、夏季休暇を利用して 丸山東壁 登ろうと云う事になり、扇沢ルートで入山しました。
 夏壁の暑さは予想以上で、猛烈な暑さの中、少々熱中症気味で壁を登り、張り出し5mのオーバーハングを超え、ハング上の垂壁をトップで登りはじめ、アブミを回収しようと態勢を変えたその時です。
「バキッ」と鈍い音がした次の瞬間、超えて来たオーバーハングの下に宙吊りになっていました。
 ユマールは持参していませんでしたので、プルージックで登り返しましたが、この墜落脱出と壁を抜けてからの垂直に近い木登り、暑さと水切れで時間と体力を消耗し、バテバテになって黒部ダム下に着いた時にはすっかり夜になっていました。
 ヨレヨレになって黒部ダムを登り切った時には深夜になっていて、当然ですが、黒部ダム駅は閉まっていましたので、仕方なく明かりの灯っている作業小屋風の建物に行き、声を掛けるも応答が無いまま、睡魔に勝てずその場で仮眠させて貰いました。
 2時間ほどの仮眠で目が覚め、建物の様子を観察しますと、建物の奥にトンネルが延びていました。
 抗門が建物になっていると表現した方が適切かも知れません。
 おそらくそのトンネルは黒部トンネル或いは関電トンネルへ通じていると思われますが、実際のところは判りません。
午前2時過ぎにそこを後にして誰もいない黒部ダムを渡り、対岸の山小屋へ行って泊めて貰い、昼近くに往路と同じ扇沢経由で下山しました。

 結局、黒部のトンネルは、関電トンネル、黒部トンネル、インクライン、関西電力専用軌道、竪抗エレベーター、黒部峡谷鉄道、それに坑口のみですがこの無名トンネル?と、関係者以外は滅多に体験することができない、貴重な体験をさせて貰いました。

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