【取材記1 素掘りトンネル】

四十数年振りに、この峡谷沿いの、この素掘りトンネルを観に行って来ました。

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 坑門は無く、割り放しの坑口です。、
 
 トンネルに至る歩道は既に廃道になっていました。
 沢山の人が踏んだ筈の路面には落ち葉が積もり、若木が育ち始めています。
 まもなく存在していたことすら忘れ去られ、自然に帰ることでしょう。
A

 坑口手前。
 中に入ってみます。

 
B

 大人になってからは初めての入坑でした。
 子供の時は気にならない高さでしたが、 少し屈まないと頭をぶつけます。
 画像では判り難いですが、下り勾配になっています。
C

 反対側の坑口は土で埋められていました。

 掘削時の ノミ跡 がハッキリ残っています。
 岩質は一見した感じ、花崗閃緑岩石に見えますが、良く見ると少し片麻がかかっています。
帰ってから調べてみたら、領家変成帯に属するこの峡谷一帯の花崗岩は粗粒片麻状黒雲母角閃石花崗閃緑岩という長ったらしい名前が付けられていました。
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 斜坑に対しての埋め込みなので埋土上面は、ほぼ水平です。
E

 少ししゃがんで埋土の上を進んでみました。
 反対側坑口の様子は、予め外から偵察済みであったので、これ以上進むことはしませんでした。
 坑口から先、右半分はコンクリートの土台です。
F

 吊り橋からの埋めらた坑口の眺めです。
 40年以上前に来た時は、この坑口を出たところに吊り橋が有って、左のコンクリートがその支柱土台だったと思います。
 
G

 現在の吊り橋。
 ↑の記憶が正しければ、昔はこの高さより数m下に架けられていたことになります。
 また、現在の吊り橋の橋板は隙間の無い鉄板ですが、昔は木製のみち板になっていて、板と板の隙間から谷が覗いていて、結構スリルがあったと記憶しています。
 帰ってからネットでこの吊り橋の架け替え記録を探してみましたが、今のところ見つかっていません。
 
H

 廃隧道へ下る歩道は、通行禁止になっています。
 
 記憶を辿る為に遠路遥々やって来たのですから、「ハイそうですか」と簡単に引き下がる訳には参りません。
 自己責任において取材を敢行させて頂きました。

 ※通行止め破りを奨励するつもりはありません。
   自己責任において行動願います。
  I
 
 廃隧道、吊り橋方面へ降りる手前の風景です。

 廃道や廃隧道に出会うと夢現の感覚に囚われることが有りますが、今回は記憶の断片を繋ぐ確かな光景に出会う事ができました。
 

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