【旧国鉄中央西線愛岐トンネル群】

 天気に恵まれたGW、今回で5回目?とかの一般公開に行ってまいりました。
 事前に聞いていたとおり大変な賑わいで、遺構だけをフレームに収めるのは困難な状況でした。
 画像はほとんど未加工で掲載していますので、何か問題があれば管理人までご連絡願います。

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 JR中央本線定光寺駅上りホームから庄内川上流を望む風景です。 ※JR中央西線は名古屋方面が上りです。
定光寺駅のホームの巾は上下ともに狭く、路面電車の停車場なみですが、一般公開期間中は臨時の有人駅になり、JR職員さんが安全管理に務めて下さいます。
 
  
 
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 こちらは下りホームから庄内川下流方向。
2号隧道とその奥に1号隧道が見えています。
今回は3号〜6号までが一般公開でした。
1〜2号公開の折には再訪したいと思っています。
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 庄内川右岸を少し遡り、国鉄時代の法面に取り付けられた急な梯子を登ります。見学コースの要所にはNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」のボランティアの方が立ち、コース案内や、質問に答えて下さいます。  
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  梯子を登り切って、先ず目に飛び込んできた風景は、真正面のコンクリート擁護壁でした。
国土地理院の地図でこの辺りになりますね。
画像左手が上り名古屋方面、右手が下り塩尻方面になります。

※国土地理院地図閲覧サービスへのリンクは許されていますが、複写・印刷は禁止されています。
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 上り定光寺駅方面はネット柵が設置されていました。
かなり藪化していますが、軌条の存在した雰囲気が朧気に残っていました。
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 で、反対下り側を見るとそこにはもう3号隧道の定光寺側坑口が見えていました。
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 明治〜昭和初期の鉄道レンガ巻隧道としては標準的な抗門だと思います。複線電化以前は日本中のどこにでもあった普通の鉄道トンネルではないでしょうか?
扁額も無く、隧道名が書かれた木板が掛けられていたそうです。
 
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 3号隧道通過中。
 煉瓦巻きも当時のままで、コンクリート等で補修した痕跡はありませんでした。
  保存改修で路床を少し盛ってある様ですが、それを差し引いても天井が低いと思いませんか?
D51蒸気機関車がやっと抜けられるサイズだったそうです。
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 3号隧道多治見側坑口です。
 定光寺側よりも煤の付着が多いのは気流の関係でしょうか?
 この写真を撮っていた時も定光寺側からの風に乗って、非常に懐かしい国鉄の香りを嗅ぐ事になりました。
 管理人は蒸気機関車けん引の車両に乗った記憶は僅かしか有りません。電化後直ぐに電車が走っていましたが、長距離列車などではEF型電気機関車がけん引する列車も長く残っていました。
その客車に乗ると、蒸気機関車時代に焚きしめらた煤煙と金属と油の独特の香りがありました。
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 振り返って見た3号隧道です。
 両抗門とも翼壁が無い代わりに、幅広の門柱が取り付けられていました。
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 落石防止柵の支柱は廃レール利用のI?H?鋼です。
 廃レールの利用はプラットホーム屋根の支柱として全国いたる所の駅で見られましたが、最近は見る機会も激減してしまいました。
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 3号隧道を出た所でNPO法人「愛岐トンネル群保存再生委員会」のパネル展示がありました。
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 ふむ。
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 圧縮の関係で歪んでいます。
 お読みになりたい方は画像をクリックして下さい。
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 この展示は多治見まで描かれていましたが、今回公開の3号〜6号隧道の区間のアップ画像です。
まだ3号隧道を出たばかり、先は長いです。
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 4号隧道に向けて軌条跡を進みます。
 路面の砂利は鉄道敷設時の砂利です。
 一見山側に所々露出していたチャートの砕石の様にも見えますが、持って見るとチャートより重く、他の場所から持ち込まれたと思われます。
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 また展示?と思ったらカンパ広告でした。
 帰りに1000円の復刻硬券を買ってきました。
 硬券も懐かしい。
 確か子供用は鋏で斜めにちょん切っていた記憶が有ります。
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山側は概ね防護壁が組んでありましたが、所々切りっ放しの箇所がありました。
この辺りの地質は20万分の1日本シームレス地質データベースによると、中生代のメランジュ基質(付加コンプレックス)とか。 まあ、色々ありってことですね。
この岩はざっと見た感じチャート。

※産業技術総合研究所(産総研)およびRIO-DBトップページへのリンクは許されていますが、データの複写・転載等は禁止されています。
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 小さな沢を渡ります。

 
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 4号隧道定光寺側坑口が見えてきました。
 
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 4号隧道は反対坑口(多治見口)が見える短い隧道です。
 山側のみ翼壁施工。
 
 
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 古い写真(上段)と同じ視点で撮影された現在の写真が展示されていました。
 帰りに募金係の方に尋ねてみましたが、残念ながらこの写真セットの頒布は無いとのこと。
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 4号隧道真ん中辺から多治見坑口方向です。
 この辺りから水が滴っていました。
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 こんな感じです。
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 多治見坑口谷側(庄内川)には大きなヒビ割れがありました。
 何か看板がぶら下がっています。
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 ・・・脱線・・・ですか。
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 振り返って4号隧道多治見坑口の様子です。
 両翼施工。
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 この先5号隧道までは今回の公開範囲でもっと距離のある区間です。
 湧水やベンチがあって、休憩できるようになっていました。
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 鉄道建設時にも、休憩広場になっていたそうです。
 
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 確かに良い景色でした。
 
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 山側の擁護壁はコンクリート、石積、石積モルタル吹き付けなどがありました。
 

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  当時の乗客は眼下の庄内川を眺めながらここを通過して行ったことでしょう。
 現在は長いトンネルになり、車窓から庄内川を望めるのは定光寺駅と古虎渓駅と僅かな区間に限られます。
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 現在の様な直線的な鉄道建設と異なり、等高線を辿る当時のルートは、唱歌にも在るように隧道を出たら鉄橋、鉄橋渡ると隧道の繰り返しになっていますね。
 
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 橋を渡り、多治見側からの眺めです。
 電車に乗っていると感じませんが、鉄道(狭軌)の幅員って意外と狭いですね。
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 樹齢20年?
 
 
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 石積の上からモルタルを吹き付け、積境界に溝を付けてありました。

 
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 素割りの岩と石積を繋いでいました。
 
 
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 へ〜。
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 ちょっと開けた場所に着きました。
 
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 暗渠(あんきょ)ですか。 
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 意外に深いです。
 レンガ組の上にコンクリート部分を積み足してありました。
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 擁護壁にも沢水の放水口。
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 こちらの暗渠はレンガ積みの物より新しいようです。
 土砂崩れでもあったのでしょうか。
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 開けた場所の先に5号隧道が見えてきました。
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 5号隧道定光寺側坑口です。
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 抗門門柱は角度が付けられていました。
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 やや東にカープしていて反対側坑口は見えていませんが、短いのでそれほど暗く感じませんでした。
 プロジェクターで何か放映していました。
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 映していたのは、調査時の猛烈な藪こぎ映像でした。
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 この辺りからアーチを補修してありました。
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 補修区間を過ぎ、定光寺方向を振り返って見た様子です。
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 湧水
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 レンガの接着に使ったモルタルが溶解し鍾乳石になっていました。
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 5号隧道多治見側坑口側壁
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 その先には次の6号隧道が見えています。
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 5号隧道多治見側坑口を出てすぐのところに掛けてあった、5号隧道崩落事故を伝える当時の新聞のコピー。
 ご冥福をお祈り致します。

 ・・・読まない方がいいですよ・・・
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 U字型排水溝の説明。  ・・・ふむふむ。

 「このトンネルの多治見側にもありますが、そちらは樹木が繁茂して見ることは出来ません。」

・・・そうですかぁ。
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 見えるじゃん!

 公開に合わせて伐採して頂いた見たいです。
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 鉄道唱歌に中央線版があったのか。
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 何かの装置を展示していました。
 
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 太陽自動追尾の照明装置とか。
 
 当日は快晴でしたので、この後入坑した6号隧道で、この照明装置の威力を知る事が出来ました。
が、実際にこの様な装置が使われたのでしょうか?
 光軸が長いため、切羽に達する前に工事用具やら支保工やら作業者などで遮光されてしまうような気がします。
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 そして6号隧道定光寺側坑口に迫ります。
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 と、その前に坑口周辺の展示を見て回りました。

 これは煉瓦関係の資料です。
 煉瓦の刻印でトレーサビリティーが確認できる仕組みになっていました。
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 煉瓦入札広告。
 
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 6号隧道はインバート工が施されていたそうです。
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 発掘・展示されたいたインバート工。
 隧道床端全てインバート施工してあるのでしょうか?
 まさか坑口だけって事はないでしょうね?
 
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 迫石の説明。
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 天と床左右2ヶ所、計3ヶ所に天然石のキーストーンを配置し、あとは7重にもなる煉瓦巻きです。
 当時東海地方は煉瓦の製造が盛んであったそうです。
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 ポータル谷側側端のアップ。
 通信線や電灯線用の支持金具が打ち込まれていました。
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 少し離れたところから抗門全体をフレームに収めました。
 ??? 俄かに疑問が・・・
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 深く折り込まれたパラペット。
 7重巻は何処まで施工されているのでしょうか?
 5号隧道多治見坑口の様な排水溝も見当たりません。 
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 パラペットの中を覗いてまいりました。
 日向ぼっこをしていた1m程の蛇が慌てて逃げる様子も写っていますが、それは兎も角、本坑の始まりは右の石積みからです。 とすると地山の圧力は山側と軌条方向だけと謂う事になり、この抗門の7重巻きは過剰なのでは?って気がします。
 それとも比重の小さい煉瓦を使用する為でしょうか?
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 振り返ると5号隧道多治見坑口が望めます。
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 6号隧道に入ります。
 区間が長いうえ曲がっている為か出口は見えません。
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 少し進むと先程の照明装置に照らされた天井が見えました。
 この画像では判り難そうなので・・・
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 少し明度とコントラストを変えてみました。
 
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 振り返って定光寺口を見ますと・・・
 カーブしているので光が届かなくなりつつあります。
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 そして遂に真っ暗闇。
 懐中電灯必須です。
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 多治見口が見えてきました。
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 坑口から差し込む光でデジカメも反応する様になりました。
 アーチ部をモルタル補修してあります。
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 その補修からも漏水が・・・
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 鉄錆も出ています。
 
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 何やらタイル製の標識が埋め込んでありました。
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 あっ!これ知ってます。
 駅弁と一緒に売っていたお茶入れですね。
 樹脂製ですが、大昔は陶磁器製でした。
 汽車土瓶とか汽車茶瓶と言うらしいです。
 管理人は陶磁器製も樹脂製も使った記憶があります。
 今ならペットボトルですね。
 多治見坑口にはこんな出土品が陳列してありました。
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 出ました。6号隧道多治見口抗門です。
 本日見た中で一番痛んでました。 
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 翼壁は笠石の下から大木が貫入して割れていました。
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 坑口前の広場に出土した煉瓦が展示?されていました。
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 画面下の3の形をした金物は現在でもバラスト床で見掛けますが、どんな機能があるのでしょうか?
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 この先はもう進めません。

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